僕のお父さんが野球経験者で甲子園にも出ていて、お兄ちゃんもいてタイミングが重なり小学2年生から野球を始めました。
小・中・高はプロ野球選手なんて考えておらず、ただ好きな野球をしていました。子供の頃から”元気”を出してプレーすることは意識しています。元気にプレーすることで、自分が持つものより高い結果を得られると思いますし、メンタル面も強くなるからです。
亜細亜大学に入ってからは、プロ野球選手になりたいと思うようになりました。
大学の4年間が僕の野球人生に活きています。プロ生活の中で骨折の怪我はしましたが、筋肉の怪我は1度もないです。大学時に基礎体力をしっかり鍛えたからです。他のプロ選手から「やっぱり亜細亜の選手は身体が強いね」と言われます。普通にプレーしてるだけなんですが(笑)。僕の身体とプレーの土台になったのは、大学での良い生活、良い習慣のおかげなのです。
僕が大学3年生の時に監督になられて指導いただいた生田監督には、ずっと感謝していますし今でもお世話になっています。怖いけど、野球を知りつくす熱い方です。僕が1〜2年生の時は”生田コーチ”でして、しっかり練習を見てもらい、情熱を持って接してくれたので、こちらも熱い気持ちで向かって練習し、日々楽しかったです。思い出はたくさんありますが、強く残っているのは野球の技術に関するアドバイスがとても分かりやすくてスッと頭に入ってくることです。熱い監督と一緒に過ごすことができて、僕のプロ生活においても元気にプレーする源になっています。
元気に熱いプレーを信条とする僕にとって、長嶋茂雄さんは憧れの人です。お会いしたことはないですが、夢の世界の人。映像でしか見たことがありませんが、映像だけで熱いということがわかります。同じサードというポジションだということも憧れる理由です。長嶋さんのような立ち振る舞いをしたいと映像で追いました。スローイングも何度も見て勉強しました。豪快なスイングも見て勉強しました。長嶋茂雄さんはスーパー熱い。
プロ生活16年。僕はこれまで5回骨折しましたが、骨折は1週間や1ヶ月では野球に戻って来れません。今は年齢も重ね、若い時より試合に戻っても結果が出にくい部分もあると思います。そして年齢を重ねると、落ち着いていくのが普通かもしれません。しかし僕は普通で終わりたくない。今はとにかく自分の数字(成績)にこだわりを持ち、満足したい、落としたくないです。38歳なので「もうそろそろ」と思われるところを覆したい。
全体のキャリアを見るというより1年ずつ、1日ずつ、1打席ずつ、1球ずつが勝負。プロ野球は1球で人生が変わる厳しい世界です。
若い選手たちの後ろでゆっくりというより、体力や技術が落ちてもユニフォームを脱ぐまで元気だけは出し続けて熱く頑張ります。まだまだ、やってやろうという気持ちです。
松田宣浩